2015年05月31日

第4話 転機

前回の


第1話 キッカケ。


第2話 J.CROW.D


第3話 DAZZY


の続きをどーぞ。







小倉の病院に入院しながら、摘出手術と抗がん剤治療をして、退院後も自宅から抗がん剤治療を続けることになり、母はおれと自宅兼事務所の一部屋余ってた部屋で暮らすようになった。


事務所でいつも遅くまで、アホも真面目も仲間とこなしながら、療養中だけど母も美味い飯作ってくれてたなw


そんなこんな活動しながら楽曲制作もやってる中、「Club INFINITY」時代から一緒にPLAYしてたDJの1人「TIGA ONE」がトラックメイカーとして所属してた「Inside Muzic」に出入りするようになった。


そこで前から知ってた現CLUB Cat’sのメインDJ「SPIKE」君が動かしてた事務所「Do Wan Ent.」から初めてのiTunesなどのデジタル配信をやり始めることになったよ。


ちょーどその時くらい人生で初めてメジャー流通での曲にも参加させてもらったね!(PARTY TILL THE DAWN feat,宏実&DAZZY)


フィーチャリングで迎えてくれたのは「ONE MUZIK」のゲストに呼ばせてもらって親交があった大阪の下拓くん。
この作品のちょっと前にも一週間ほど合宿させてもらって世には出てない曲達を作ったなー。


その後も「Do Wan Ent.」からの配信曲はリリースしてて、初アルバムに向けた制作もしてたっけな、(今聴くと全然世に出せなさそーな曲達w)ラップばっかだったおれが歌を混ぜるようになったのもちょーどこの時期で正規曲で初めてのMusic Video(Lovin' You -The Book-)も親交の深いcamekitiが撮ってくれた。


今思えば母の癌が発覚した事で、自分自身が表現する音楽もより分かりやすいものになった気がする。それを後押ししてくれたのが下拓くん、SPIKE君、camekitiだったと思う。






つづく...

dazzy at 15:57│Comments(0)TrackBack(0)clip!

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
写真に触れてみ☆


《DAZZY プロフィール》
「さんピンCAMP」や「NIRVANA」などに14歳でROCKされた過去を持ち17歳 の時にバンドボーカルという形で音楽活動をスタートさせたが、ソロのアーティストに転身。
シンガーであるJ-DADとの交流をきっかけに1 MC&1 SINGERとして 活動、数々のLIVEをこなし「J.CROW.D」と名乗る。
2005年、2007年に発表したシングルは当時でも瞬く間に売れ渡り、九州 CLUBシーン「No.1」と誰もが認めるアーティストに成長した。九州TOURを成功させた事で九州のみならず西日本へもその名を轟かせる。
その経験をソロのアーティストに活かすべく「DAZZY」としてソロ活動に専念し、2012年2~3月にはフリーダウンロードという形でUS楽曲リミックスを4曲発表し、そのうち2本のMusic VideoをYou Tubeなどにアップする。
4月~10月にかけては正規配信曲「Runnin’」「 Paranoid」「HOT MAGIC」をデジタルリリースするなど等、持ち前の最先端プロモーション効果を駆使し九州でインターネッ ト上を最も賑わせたアーティストに成長した。
その勢いが認められ全国でも一番のHIP HOPファッション誌「WOOFIN'」が企画したDJミックスアルバム「MAN&WOMAN(ポニーキャニオン)」に唯一の九州アーティストとしてアルバムコンセプト曲「PARTY TILL THE DAWN feat.宏実&DAZZY/DJ 下拓」で参加すると、翌年2013年には「Lovin' You -The Book-」でiTunesヒップホップチャート4位を勝ち取るまで注目される全国規模のアーティストに昇り詰めた。
決して、順風満帆では無かった彼の家庭環境、音楽人生だからこその世界観とリリック。
そして彼を語る上で外す事の出来ない卓越したPARTY MCスキルから生み出される発想やLIVE感。
全てを引っくるめて、ローカルから全国へ駆け上がって行く集大成である「2014年DAZZY」から目を離すべきではないだろう。









Instagram