2015年05月31日

第3話 DAZZY

前回の


第1話 キッカケ。


第2話 J.CROW.D



の続きをどーぞ。









「J.CROW.D」が解散して、当時周りや仲間たちにスーパー気を使わせてしまった事。


今でも反省してますwでも、おかげさまで元相方とは仲直りもしたし、おれより出世してる彼を心から「最高なライバル」だと思えるようになったよw


話戻ってその頃から名前を「DAZZY」にして今でもよく行ってるX-Tのスタジオに行ったりソロの音源やLIVEや前回出てきた「ONE MUZIK」(この頃から全国的にもライブイベントより今も続いてるパーティーが盛り上がるようになってた)でMCとオーガナイズに全力を注ぎながら、


ボーズ頭で全く似合ってなかった花屋さんでバイトしたりして、その頃かな?MCを見込んでもらって天神西通りにあった「Club INFINITY」に呼んでもらえるようになった。


そこから空いてる週末は大体「Club INFINITY」でMCして、ヘッドDJだった「BABY BOSS」氏と韓国や日本の色んな場所でPLAYさせてもらったり、アーティストとしては広島の「DOUGH BOY」岡山の「BAZ-K」とおれ3人で「D.D.B」での活動やったりもしてたなー。


その後、アホみたいな風営法の流れで「Club INFINITY」でのMCが出来なくなって、「ONE MUZIK」と時代の流れで一層減ったLIVEをぼちぼちやる程度だった。


その頃から今でも親交の深い兄貴の友人だったコータ君と魚町に「Big Apple Inc」の事務所を構えて地元のアーティストのリリースをしたり、少なくなっていたライブイベントのオーガナイズ等をやりだしたんかな。


1人で住んでた家賃3万のめちゃくちゃボロい家から、事務所が出来た事で奥のスペースを自分の家として使う事が決まったくらい、佐賀で働いてた母に癌が発覚した。






つづく...

dazzy at 02:52│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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《DAZZY プロフィール》
「さんピンCAMP」や「NIRVANA」などに14歳でROCKされた過去を持ち17歳 の時にバンドボーカルという形で音楽活動をスタートさせたが、ソロのアーティストに転身。
シンガーであるJ-DADとの交流をきっかけに1 MC&1 SINGERとして 活動、数々のLIVEをこなし「J.CROW.D」と名乗る。
2005年、2007年に発表したシングルは当時でも瞬く間に売れ渡り、九州 CLUBシーン「No.1」と誰もが認めるアーティストに成長した。九州TOURを成功させた事で九州のみならず西日本へもその名を轟かせる。
その経験をソロのアーティストに活かすべく「DAZZY」としてソロ活動に専念し、2012年2~3月にはフリーダウンロードという形でUS楽曲リミックスを4曲発表し、そのうち2本のMusic VideoをYou Tubeなどにアップする。
4月~10月にかけては正規配信曲「Runnin’」「 Paranoid」「HOT MAGIC」をデジタルリリースするなど等、持ち前の最先端プロモーション効果を駆使し九州でインターネッ ト上を最も賑わせたアーティストに成長した。
その勢いが認められ全国でも一番のHIP HOPファッション誌「WOOFIN'」が企画したDJミックスアルバム「MAN&WOMAN(ポニーキャニオン)」に唯一の九州アーティストとしてアルバムコンセプト曲「PARTY TILL THE DAWN feat.宏実&DAZZY/DJ 下拓」で参加すると、翌年2013年には「Lovin' You -The Book-」でiTunesヒップホップチャート4位を勝ち取るまで注目される全国規模のアーティストに昇り詰めた。
決して、順風満帆では無かった彼の家庭環境、音楽人生だからこその世界観とリリック。
そして彼を語る上で外す事の出来ない卓越したPARTY MCスキルから生み出される発想やLIVE感。
全てを引っくるめて、ローカルから全国へ駆け上がって行く集大成である「2014年DAZZY」から目を離すべきではないだろう。









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